村上俄山
昭和24(1949)年、桑田笹舟先生が創設された一楽書芸院が発展し、昭和52(1977)年、書道笹波会が創立した。
創始者笹舟先生の古筆を中心とした書学理念を根幹として、池内艸舟、桑田三舟、村上俄山へと受け継がれてきた。
平成20年より現会長村上俄山のもと伝統を重んじ、かな書のリズムを古筆に求めながら格調高い書を目指して日々研鑽し、会員一同精力的に活動している。また、調和体にも積極的に取り組んでいる。
新しい時代に向かって現代にも沿ったかな書を創意し、努力精進していきたい。
笹舟先生のご遺志を継いで、二代目池内艸舟会長、三代目桑田三舟会長と時代は移り変わっているが、書道笹波会の根本理念は変わることなく、常に古典に立脚した作品づくりを心掛け、他の会派には見られない方法での作品づくりは一つの特色を持っている。
古典をコピーし、切ったり貼ったりしながらの作業の中で、文字の組み合わせや配字を学び、連綿のあり方を考えたり、試行錯誤のなか、倣書を繰り返しながらの作品づくりは書道笹波会が始めたと思っている。
笹波会創設者 会長
随分以前の作品なのに、今見ても新鮮感がある。
『漢字に負けないぞ』という気持ちで特殊なかなを書かれた時がある。これはご自身が作られた料紙に一見十五番歌合を思わせる作で、私の心に残っている一点です。
あかあかと
一本の道とほり
たりたまきはる
我が命なりけり
(茂吉)
笹波会会長・理事長 日展評議員
池内先生は「明石の良寛さん」と呼ばれ、文章、お話もうまいし、ユーモアがありながら、何かと教えられることが多かった。宴席での先生の唄は、常に笑いを呼び、会を盛り上げる力があった。
かなの古典の臨書はあまりお好きではないようだったが、漢字を沢山取り入れ、作品の字数を少なく見せる特別な技術を持っておられた。また、かなとの調和も抜群であった。
この作は、二×八尺の紙に和歌一首を大胆に書かれた先生の傑作の作品です。
笹波会会長 日展参事
三舟先生は笹舟先生と親子展の作品をみても、共通点がないわけではありませんが、違う作品に取り組んでおられた。
最初は元永本古今集をされていましたが、香紙切に変えられ、細く繊細で遊ぶような線がとてもお洒落で、先生ならではの技だと思います。
書には原形がない。無からの出発である。何でも見よう、何でも摂取しようといった「凝視」「感動」「集中力」がほしいと日頃から念じていると言われていた。
親譲りというか、指導力も抜群で日展作家などの多くの逸材を育て、世に送り出しておられる。
朝日さす大松原ゆこぼれつつ
雀なきとびとびなきかはす
(清水比庵)
日展特別会員 日本書芸院顧問 読売書法会参事 笹波会会長
— 笹波を彩った先生 —
笹波会副会長・顧問 日展依嘱
西井先生は素晴らしい勉強家であり、学者肌であった。福山での笹舟会の稽古でも、常に大風呂敷にいっぱいの作品をかついでこられたのは有名な話。とにかく書くのがお好きな先生であった。
笹舟論をよく継承し、古典の臨書を大切にされる。チビた朱筆で関戸本古今集の添削をされる姿は、まさに名人と言うしかない。
「書は線の芸術である」をモットーにねばりのある強い線で書かれた。
この作品は「あかあかと…」です。比庵さんの歌はよく書かれ、何回か見せてもらったことがある。佐理など好んで書かれ、漢字の線を取り入れ、連綿線と切った間拍子が美しい。
笹波会副会長・顧問 日展依嘱
岡田先生は無口な人のように思えたが、研究会や講習会など、作品づくりの理論になると、すごく雄弁になられた。いらないことは言わない、しかし気持ちの温かい先生で、作品の批評もやる気をおこさせる雰囲気があった。
作品は性格そのもの、大らかで、ゆったりとした呼吸をする線が魅力的であり、常に若々しく造形の変化と空間の響き合いのハーモニーが美しい。
「なんだかんだと言っても作品だよ。作品が物を言うんや。」の言葉が思い出される。
「古典を尊重し、新鮮な現代感覚に根ざした自然の書でありたい。」が先生のモットーであった。この作は空間の美を考え、墨法の素晴らしさも加わり、見事日展で特選を受賞された。
しづむ日がなみをさそひて寒ますば
なほのどならん無人のはまは
(憲吉)
笹波会理事長 日展会員
山下先生は教職にありながら、料紙の研究・製作、後進の指導にも励まれ、多くの弟子を育ててこられた。趣味も広く、絵を描いたり、陶器をひねったりと、「幅広い美の探求」を志しておられた。本当に器用な人であった。
日展では小字で特選を受賞、そしていち早く大字に目を向け、骨格のしっかりした書を発表されてきた。
「黒い文字の中にある白・周囲の白と黒と同じだけ大事にする。」この言葉は先生の口癖であった。
この作は十五番歌合などをもとに、豪快なタッチで書かれ、一見漢字と見紛うような強いかな作品である。
足柄の箱根飛び越え行く鶴の
ともしきみれば倭し思ほゆ
(万葉)
笹波会副理事長 日展会員
中室先生は一見ほっそりとして背の高い人でしたが、筆をとると図太い線で書かれるという印象が強い先生でした。
大きな船の名前を揮毫されたこともあります。もちろん細線で行をからませたような作品にも、目を見張ります。個展などの図録をみても、バラエティーに富んだ楽しい作品が多くみられます。
謙虚でおごりがなく、人を説得することはなかなか容易ではありませんが、先生の書にはそれがあります。
先生は温厚な人柄でしたが、芯の強さを持たれていた。
岩清水
山をめぐりて
大河なし
悠然として
青海原に